アキラの精神世界

明晰夢 瞑想 宇宙全史 など

自我を拒否しよう

自我を薄くし、消滅させるために

どのようなことができるでしょうか

今回はこれに有効な考え方を2つご紹介します

 

1.自我を拒絶すると、宣言すること

口に出し声に現すことで自らの意図を宣言することは世界に対して多大な影響を与えます

静かに確信を持って、私は自我を拒絶します と仰ることは間違いなく自我を執着を薄くしていくでしょう

 

2.自我を認識する

例えば聖なる言葉に「喋っているものはマインド(自我)だ」ということがあります 正確に自我を認識することは それとの分離感を生み出し自我を薄くしていく効果があります

おしゃべりの本体は自分のように感じますが、それは草についた虫のようなもので

あなたそのものではないのです

 

 

拒否権と受け取れないこと

2週間のことでした

私は約3万円のノートパソコンをメルカリで注文したのですが何と10日経っても発送されません!しょうがないので事務局に連絡をとり、キャンセルの手続きを行いました

 

私はそのことがどうしても気になりました

そんなに欲しいパソコンではなかったのですが「手に入らなかった」という事実が私に激しい執着をもたらしたのです

 

私は火がついたようにノートパソコンを探し求めはじめました

 

主にgeforceの800から900番台のものを

4万円から6万円で探していました

 

この時、目の前に現れたにも関わらず受け取りそこねた商品が何個かありました

 

そうして3回くらい半額程度で投げ売りされている魅力的なノートパソコンを見送ったでしょうか

そうして昨日!ラクテンマートまで足を伸ばしてようやく納得できるものを買いました

 

....

 

この時何ですがエゴとは違った酷めたエネルギーが私に覆いかぶさってきたのを覚えています

それはなんというか諦めともちょっと似た感じで「ああ、俺という人間はこのくらいでいいんだ」というさっぱり醒めた感覚がジーンと心に響き渡りました

 

私はクヨクヨと悩む癖があるので

商品をキャンセル申請してから実行されるまでの丸1日ほどの隙間は本当にもんもんとしてしまいました

 

その間に3回も流れたんですよ?3回も!

 

53000円のdell製GF960m搭載のパソコンが!

72000円のほぼ新品のGF960m搭載のパソコンが!

80000円の新品のGF960m搭載の13インチのAlienWareが!

 

誘惑が強すぎて涙が出そうでした

あまりにもいい商品がキャンセル確定待ちで動けない私の目の前を通り過ぎて行くんですから...

 

何の話でしたっけ?そうそう拒否権と受け取れないことの話でした

 

私達には自由意志として拒否権というものがどうやらあるようです

しかし、それは莫大なエネルギー、カルマ、負債と引き換えであり推奨されるものではありません

 

あなたが普通でない状況で、物事を受け取れなかったとき、そこには100%カルマ(葛藤)が存在しています

 

その事実をしっかりと受け止めてお祈りに預けていくことは非常に生きやすくなる...人生が軽快になる 昔風に言えばおまじないのようなものでしょうか

 

幸せになりたい!という気持ちを持っている人は『受け取れなかったものこそ向き合うべき』だし『拒否してしまったものこそ向き合うべき』だと、私はこの事件を通して、ひしひし実感しています

 

意図することの意味

 

 

ドンファンの教えでは意図という言葉はこれでもかというくらい出てきますが、私は一向にその意味がつかめません 何となくこうではないかということは分かるのですが、説明するとなるとお手上げです。今回はドンファンの意図を説明した一節を、切り出してみたいと思います。

 

夢見の技法P197

ドンファン「意図することは秘密だがお前にはもうそれが分かっている。呪術師は意図によって集合点を移動させ、意図によってそれを固定させる。意図することに特別な技術はない。人は慣例にしたがって意図するんだからな」

 

この文章で一番重要なのは 「意図することに特別な技術はない」という所だと思います

 

私たちは意図することができるし、すでにやっているということです 

 

それをコントロールすることが難しいだけで人間であれば誰でも意図することはできるようです

 

ちなみにこのページでは次の衝撃的な一言が記されています

 

「お前は、まるで、見当たらなくなった車のキーを探すように集合点の理想的な位置を探そうとしている、そして靴紐を結ぶように集合点を結ぼうとしている。集合点の理想的な位置とか固定というのは比喩なんだ。それは表現している言葉とは何の関係もない」

 

...見ること(seeing)は視覚的なものだと私たちは考えがちですが、やはりそういう思い込みは間違いです ここはかなり大事ですね