アキラの精神世界

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断定系のお祈り

お祈りに関する重要な情報です

何度も読み返しておきましょう

以下引用です

さて世界平和の祈りに関してです。

問題は祈りにあるのではなく、エゴの段階にあります。
欲望にはレベルがあり、

欲望(低いエゴ・肉体の欲求)
願い(中間)
祈り(魂の願い・感謝が伴う)

大きく分けてこの三段階の欲求があるのですが(もちろんいずれも欲望です、それを発信するエゴの段階(レベル)によりどのカテゴリーに属するのかが決まってきます。
ここはキチンと区別しないといけないようです。

世界人類が平和でありますように」という祈りの文言(もんごん)では、「・・・ありますように」となっていますが、タイタン様がおっしゃるように「・・・なりました」や「・・・であるのだ」という表現は、実は逆にエゴを増大させてしまうのです。
ややこしいのですね・・・実際(本来)は、断定的(過去形)で祈った方がいいのですが、エゴの段階が低い形ですと、エゴを増長させ、放漫にさせてしまいます。
つまり断定的な祈りは、五井先生ほどの方が祈られるのには適しているのですが、我々凡人には無理があるのです(あるいは五井先生が存命の時の世界では、まだよかったと申し上げておきます)。
低いエゴにとってその形の祈りは、逆に「こうはならない」というものを引き寄せる力が強いのです。
謙虚という面では「なりますように」「ありますように」というところから少しずつエゴを外していくという形で、エゴを育てていくという段階が必要なのです。

しかしその通常の「・・・ありますように」という祈りさえも今の地上の現状には適さなくなってしまっているのです。
五井先生ご存命の時と今では、大分世界の波動が変わってしまったとおっしゃいます。
人々のエゴがあまりにも暴走し始めてしまっているのです。
そのため現状の世界平和のお祈りはそのままで、そこに付け足す祈りごとが皆様には必要だということがわかりました。

この世に生きていくために必須の欲望、原理的な欲望・・・例えばみんなが幸せになりたいと願っているのは当たり前のこと、空気が必要なように必須の欲望です。
それはエゴの最も根源的な部分でもあり、エゴはエゴなんですが必要不可欠なものなのです。
本来欲望ではないのだが、一応欲望の範疇に入ります。
そしてそれを否定するというのではないのです。
肯定しつつ「でも自分もみんなと同じくらいそれを当たり前のように思っていいんだよね」という所から始めないと「自分だけよければそれでいい」という所でエゴは増大していきます。

最終的に祈りは「・・・平和だ」「・・・幸せだ」という形になるのですが、それ実際に世界がそうなってしまっている(その方にとってですが)からなのです。
その段階にいっていない方が、理屈だけ振りかざしてそれを唱えるのは、覚醒もしていないのに自分は覚醒していると主張しているどこかの教祖様のような欺瞞を抱えたまま、エゴを増大させ、最終的にどうにもならない境涯に落ちていきます。
まずはご自分の出来るところ、納得できるところから始めるのが幸いです。

それでは通常の世界平和のお祈りの前に唱える「柔らかいお祈り」を記しておきます。
これはみな様がたのために、五井先生が直接降ろされたものです。

「私は幸せでありますように」

「私の悩み・苦しみがなくなりますように」

「私に悟りの光が現れますように」

「生きとし生けるものが皆幸せでありますように」

この4行を唱えられて、それから通常の世界平和の祈りに入ってください。
どうしてもこれまでの世界平和の祈りに馴染めない方、あるいは毎日唱えているのにあまり効果がない方・・・おそらく劇的に変わると思います。
お試しあれ。2009.04.11 虚空蔵55