猜疑心
猜疑心とは「何か、おかしいぞ?」と物事に対して疑いの眼差しを差し向けることです
この猜疑心も大切なものです
まず、「気づき」ということが第一に人間には求められています
じゃあこの気付きはどのようなタイミングで現れるのかというと、疑惑を持つときが気付きの現れやすい時であるといえるでしょう
存在の生命体の本質的な気づきと
このハッとした気付きは別物ではありますが
根本的には同じものです
「そんなわけない...」とか「でも他の人はこういってるし...」とか自我は徹底的に気づきを否定して来ますが、これは罠なので引っかからないように気をつけてください
そもそも私達はほとんど何も知らないのです
その知らないということすら分からないのが大多数の私を含めた人類なのです
その中で槍のような鋭さで突き刺さる気付きの光はあなたを幸せへと(何もしないことへと)導いていくことでしょう
ここでの幸せとは 存在→意識→至福
サットチットアーナンダの3つめの至福を指します