津田さんと精神世界

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生きることへの恐怖

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おはようございます アキラAです 今日は生きることの恐怖について書きたいことを書いていきます

 

廃墟のブッダたち p169より抜粋

あの時、私は、もう生きる意志はなかった。
だが死ぬ意思があった。
しかし死ねないまま、まだ生きていた。
この苦しみがあまりに苦しいので、私は狂う寸前にいた。
何週間も毎日毎日、死ぬか生きるかの、
たったふたつしか思考することがないのだ。
私は思わず心の中で叫んだ。

『ならば、それほど苦しめるなら、もっと苦しめろ、勝手にやってくれ、
このまま一生精神病院へ行って狂ってやるから、
もっと悲惨で苦しいのも結構だ。ほら、出て来い『生きる恐怖』。
このまま狂ってやる』と。

そう思って私は苦しみ自体に開き直った。
しかし、実は人は死ぬより恐れることがある。
それは狂ったまま、周りに迷惑をかけながら、
醜態をさらして生きてゆくことだ。
だがとうとう、あまりの無力さに、抵抗力もなく私には、
狂う覚悟が出来ていた。

そして、その瞬間だった。
それはたった3秒の出来事だった。
いや、実際には、変容に要した時間は、たったの一瞬であったのだろう。
完全な、手放し、
完全な絶望、
完全な狂気、
発狂へのあきらめ、
自殺の決意、
そして、その直後の、もはや、
何も思うことすら残っていない『完全な思考の沈黙』の中で、

・・気がついた・・
私が誰だったのか。
何が私の実体だったのか。私は何か?。

生きる意志もなく、死を恐怖していないはずの私が、なおも苦しんでいる。
それは生きる恐怖だ。
そして、誰が、死ぬ苦しみと生きる苦しみを生み出しているのか。

それは私の観念だった。思考だった。
ところが苦しみを逆に『待つ』ように開き直ったところが、何も出てこない。
待てども出て来ない。

私の最後の思考である『死にたい』という思考が私から分離した。
私の中の生存欲のプログラムと思考が完全に全滅した。
その時、、
どんな思考もないままで・・・

全く何も苦しんでいない何かがそこにいた。

 それが、
『これ』だった。

覚醒するための2つの障害 

完全に覚醒するために、2つの明確な障害があります

1つは 死ぬ恐怖であり
2つは 生きる恐怖です
昔は死ぬことへの恐怖が圧倒的に強いものでした しかし現代では生きる恐怖の方が大きくなってきているように感じます ずばり、私も死ぬことへの恐怖はあまりありません(痛みや拷問などへの恐怖はあります) 醜態を晒して生きることへの恐怖の方が何倍も大きいと言えるでしょう

この2ページの抜粋はEOさんが覚醒したときのものです
彼は『生きる恐怖を抱え、それを拡大させた』と私は解釈しています
生きる恐怖がある人はいまここで同じことをやってみてください
なんと不思議なことにその生きる恐怖が発生するのを待ち構えたら、それが水中の泥のように落ちてしまうのです。私はこれをはっきり体感しました(それはEOさんが言うところの二度と這い上がれない落下ではありませんでしたが)

・・・

なぜ生きることが怖いのか


私たちは何故生きるのが怖いのでしょうか?家族から白い目で見られるからでしょうか?世間から強烈に差別されるからでしょうか?この恐怖というものは完璧な自我の叫びであり、自我がなんとしても死にたくないからあなたを攻め立てているにすぎません
なんとこの恐怖は死ぬときでさえも完全に消滅することはなく(悟った人は除く)恐怖は死んでも残ってしまうのです だからこそそうならないように生きている内に私たちは訓練する必要があるのです

・・・

大悟とはどういった時にあらわれるのか

大悟とは、『ああ、今ここに何か気付いているものがある』という気付きの意識の裂け目を実感することです これはこの括弧内の気付きが2,3分も継続することがなく、途切れているという事実を実感することでたどり着くことができます

・・・

で、あたなは覚醒しているの?

ここまでの事実を知ったとしても、まだあなたは生きることが怖いのでしょうか
残念ながら私は怖いです^^; まだ十分なエネルギーを得ていないようです
24時間365日この気づきの状態にあれば 2度と生きることはないのですが
修行の道はまだまだ続くようです