承認欲求
こんにちは アキラです
今日は私の克服できない欲望についてあらわしておきたいと思います
衣食住/食性睡眠欲
私は自分でいうのも何ですが、あまり現実的なものには欲望を感じない人間です
欲望はあるのですが、からっとしたもので、あまり現代人っぽくありません
「セックスをしたければ、すればいい」
「食べたい物があれば、食べればいい」
「1日中寝ていたいなら、そうすればいい」
精神世界をやっていますが、特に重い感じもなく、こんな風にからっとしています
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承認欲求
しかし、全ての欲求から開放されているわけではありません
私には、どうしても克服できない欲望があります
それは承認欲求です 誰かに認められたいというものですね
特に社会から認められたいという承認欲求は強烈です
「セックスはどうでもいいが、結婚はしたい」
「他人との触れ合いは求めていないが、家族がいないのは世間体が悪い」
「お金はそれほど必要ではないが、働いていないのは悪く思われる」
等など...
この辺りはかなり歪んでいます
原因は分かりませんが、母方のお祖父さんも似たようなカルマを抱えています
もしかしたら一族で負っている根深いものかもしれません
父親は公務員で20年以上勤めた人でしたが、最後の年に理不尽な減給処分を受けてかなり揉めていました
大なり小なり皆さん仕事に関しては問題を抱えていると思いますが
私は思い込みが深いようで、なかなかこれが外れません
単純に責任のある仕事をこなせばいいのでしょうが、上手くいきません
10代の頃はさらに下に掘っていき、「そもそも生きたいのか?」「自分にできる仕事なんて本当にあるのか?」といったこともよく考えていました
今ではお祈りがあるので反転しつつありますが、これがなかったら確実に破滅していたでしょう
失敗するという恐怖
まず私は仕事が怖いです 職務に恐怖を感じます 異常なほど恐れを感じます
私は、一体仕事の何が怖いのでしょうか?
今見えるものは「他人に迷惑をかけてはいけない」というものです
これは父がよく言っていたことです
そこから深く影響しているのかもしれません
が、なぜ私がこれを受け入れているのかということは全く分かりません
とにかく「失敗」「迷惑をかける」ということが怖い
とにかく「失敗」「迷惑をかける」ということが怖いのです
他人に迷惑をかけさえしなければ問題はないのです
事実1人で出来る仕事は全く問題なく上手くいっていました
(仕事なので問題は起こりますが、受け流していました)
祈りをはじめて2年弱になりますが、これだけは一向に軽くなる気配がありません
(実感していないだけで、本当は軽くなっているハズなのですが)
今回この記事を書き起こしたのは、外側に吐き出すことで、もしかしたら軽くなるかもしれないという目論見があるからです
長生きしなくても良いや という傲慢さ
なんとかスレスレの最低限だけは保持していますが、私は長生きすることは難しいでしょう
(事実父親は61で死にましたし、父方の祖父はもっと早死でした 私は彼のことを写真でしか知りません)
50歳まで生きたとして後22年です 多分この辺が目安です
もう少し死ぬ気で生きれば(矛盾しているみたいですが)
長生きもできたのでしょうが、それさえできませんでした
...
私がやっているのか、上の方々がやっていたのかはわかりませんが、私の時間はこのくらいで良いという判断かもしれません
もっと長生きしたいのかどうかも正直言ってよく分かりません
※ここは重要なポイントです 20年後といわれるユートピアの世界に残るには生きたいという意志がハッキリなくてはいけません 死にたいという気持ちは無くなりましたが、私はまだ反転しきっておらず「生きたい!」という気持ちが完全では無いようです
そもそも私は凄まじく傲慢な人間なので「50歳まで生きられればそれでいい」といった想いもあります
50歳というか「2038年12月31日まで生きられればそれでいい」ということですね
(こうしてみると65歳をこえて尚エネルギッシュな虚空蔵55さんはすごいですね
自分がもし彼のように社長業で生きたとしても、多分幸せではないでしょう
自分の時間が無いということに私は耐えられません...)
今生では寿命を削って自由な時間を得ているという感じすらあります
ま、祈りという目標があるので全てやりたいことをやってるだけなのですが
(今は、祈る時間をできるだけ増やしたいと思ってます 50%くらいしか祈れていないのでこれを100%に近づけたいです つまり1日中祈るというのが当面の目標です)
やりたいことが完全に欠けているときはそれはもうドン引きするくらいの暗黒生活でした
現代人に対する憐れみ
仕事のカルマはもう1つあります それは過労死です
私は過労が大嫌いです 労働そのものもあまり好きではありません
日本ではどこにいっても仕事が好きな人を見ることができます
どうして自分を過剰に安売りするのだろう?と今でも納得がいきません
私ができないことなんですよ、普通に働くということは
その宝石を道端にばら撒いている人達のことが悲しくてしょうがないのです
だから、この辺の認識が歪んでいます
先月も潜水艦の乗組員が多数自殺していて、問題になりましたが、吐きそうでした
このことがさらに私を仕事から遠ざけています
加害ですらなく、自爆や特攻を強要されるわけですからね
さらに待ち構える宗教の壁
そしてもう1つとんでもない認知の歪みがあります
それはなんと宗教の愛でした
つまり「他人に無償で奉仕しなさい」という奴ですね
私はこういったことが大好きなので「他人に尽くすことはいいことだ」
と魂の奥底から思い込んでいました
これは宇宙全史と実生活のおかげで外れつつありますが
基本的に、私たちの一族は、なんというか自滅的とでもいいましょうか
平然と 安々と 他人の保証人になる...ような危うさがあるんですよね
今は祖母が一番この負荷を発現させています
高価な墓を買ってしまったり、親戚にいいくるめられて葬儀にお金をかけたりとまぁこういう分かりやすい感じです
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まとめ
私には仕事を核にした3つ障害(カルマ)があります
・できないことを引き受けようとする、過剰な優しさ=愚かさ
・失敗したくない、他人に迷惑をかけたくない=傲慢さ
・過労死、サービス残業、ブラック部活等=憐れみ
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まぁどうしようもないですね
歪みすぎています
こうしてみると五井先生のお弟子さんの
村田さん(信用金庫頭取)や
虚空蔵55さん(上場二部社長)は
バランスがとれていて偉大だなと思います
多分 彼らは忍び寄りのエキスパートなんでしょう
私には出来る気がしません
今でもこれ(私)は、気を抜くとすぐに仕事を捨てようとしますからね
...
果たして、私はどこまでカルマを昇華できるのでしょうか?
締め切りまでは、まだ時間が残されています
決着の日まで、1日1日を真剣に生きましょう
私は頑張ります 人生は長いですね