津田さんと精神世界

明晰夢 瞑想 宇宙全史 など

いかなる世界でも相手が存在している

こんにちは 津田さんです

 

今回は「どんな世界でも相手が存在している」ということについて考えていきたいと思います

 

絶望的な状況でも相手は存在している

例えば冤罪で牢屋に閉じ込められた囚人の例を考えてみましょう

これは絶対に脱出することができないような大変難しい状況であると考えられます

しかしこのような場合でも「看守」や「裁判官(法律)」といった相手は存在するのです

 

精神世界に必要な形質は「値切り」など商売によくあらわれています

非情に、狡猾に、優しく、忍耐強く、利益をあげること」は、精神世界の探求(未知との対峙)ととてもよく似ています

 

地上でたった1人生き残っても地球という相手がいる

たとえ世界が滅んで人類が自分一人になったとしてもそれでもまだ相手は存在しているのです

また人間の場合は肉体があるので「この肉体はどこからやってきたのだろう?」と思考することでも創造者をたどることで相手と向き合うことが可能になってきます

 

祈りという経路

祈りとは人間に備わる経路のことです

これを通して万物に繋がることで相手を知覚することができます

逆に言えばいかなる状況でも相手が存在しているということです

実存という二元性を超えた段階でさえ、そこには何がしかが「いる」のです

 

絶望的な状況でも諦めてはいけない

絶望的な状況でも決してあきらめてはいけません

なぜなら私たちの管理者は私たちに脱出経路を用意しているからです

(このことはカルロス・カスタネダのイーグルという概念を学ぶとより理解することができます)

そのひとひらに舞う木の葉のような、小さなチャンスをつかめるかどうかは私たちに手に委ねられているのです

(それほどの覚悟を決めるということは現実問題としては、中々大変なことなのですが...難しいですね)