15年経っても溶かしきれない「恨」の話
こんにちは 津田さんです
メンヘラjpの記事を読んでいました
えらいじゅくちょうさんという方の記事です
10年間の不登校・ひきこもりを経て慶応義塾大学に合格した教え子の話 - メンヘラ.jp
そういえば私も引きこもったことは1度や2度ではないな、と思いながら現在の活動的な人生と比べていました
はじめに社会から離脱したので14歳の時です
中学校1年生の時私はバスケットボール部へ入りました
小学校で友達がバスケットをやっていたので、その流れで入部しました
その中学校でどんなクラブがあるのか一覧すらもたず無鉄砲なことをしたなと思っています
私の中学校は部活は強制でしたので、入らないという選択肢はありませんでした
7月頃 毎日牛乳2リットルくらいをヤケ飲みしていました
何を飲んでも一向に喉が潤わないのです
とうとう体が完全に壊れて学校へ行かなくなりました
涙を流しながら職員室の放送室でバスケ部をやめたいと訴えましたがそれは認められませんでした 中学校の先生の名前は今でも覚えています しかし、教師に対する恨みはありません
夏休みの部活は全て休みました
部活に行きなさいと諭されましたが体が動かないのでどうしようもありません
担任と部活の教師2人が家に訪問までしましたがそれでも私は行けませんでした
夏休みに強制的に休んだことで何とか肉体は回復しました
夏休み明けに学校に復帰しました
柔道に部活を変更し、中学校はなんとか乗り切りました
しかし、柔道も得意ではありませんでした
自分を騙しながら、学業も捨て成績をボロボロにしながら、なんとか2年間を乗り切りました 柔道部は他の部活と違い例外的に10月ギリギリまで部活を続けるという風習があり、運動が得意ではない私は精神まで完全に壊れてしまいました この時はほんとうにギリギリでした
今でもなぜ文化部を選ばなかったのかと後悔する時があります
田舎の中学校ですから選択肢は少なくありません
文化部は1つしかなく、美術部のみです
吹奏楽もありましたが毎週グラウンドで行進をするような熱血なものだったため、吹奏楽部の内容は文化部ではありませんでした
野球、サッカー、ソフトテニス、柔道、陸上、バレーボール、バスケットボール
これでもかというほどの運動の包囲網を私は抜け出すことができませんでした
今でも学校や部活動のことは恨んでいます
えらいじゅくちょうさんの「恨」という文字を見て、自分にも似たようなものがあるな、と思い返しています
その後 公立高校に受験し合格しましたが、1年弱で通学することはやめ通信制に編入しそちらを卒業しました この公立高校の中退が2度めの引きこもり期間です 短い期間でしたが社会から離脱していました
次に大阪でプログラミングスクールに通います
就活で大失敗し、しばらく引きこもっていました
これが3回目の引きこもり期間です
2年後、父親の死をきっかけに実家に帰省し、身辺が落ち着いてから地元の施設で介護士をはじめましたが、3ヶ月程度で辞めてしまいました これが4回目の引きこもり期間です これが最も長く帰省直後の期間をあわせるとかなりの期間に及びます
仕事をやめ、スーモで一番安かった物件にアポイントを取り、1年弱ほどその物件(岡山県岡山市)で一人暮らしをはじめます アルバイトなどもすることはなく、隣の部屋のスリランカ人と話したりていました これが5回目の引きこもり期間です
福山に腰を落ち着けたのは2018年1月からなのでつい最近のことです あらためて思い出すと、大体5回くらい引きこもっていますね
社会から離脱することがたくさんありました
そんな私でも今元気に生きています
最近ちょっと疲れていて傷心気味ですが、昔のことを思えば全然マシです
朝の15分でスラスラとこの記事を書いています
自然と生まれた文章なので必要なものだったのでしょう
津田さんの思い出について書いてみました
それでは良い1日を
追記 症状について書き忘れていました
体育館に入れない:体育館のような場所に入るとたちくらみ、めまいが発生します そのため体育館または似たような空気の場所に入ることができません
フラッシュバック:中学校や高校などで、部活に励んでいる学生をみると吐き気がします 著しく情緒不安定になるため、休日の学校など(部活動が行われている場所に)近づくことができません こちらの症状は最近はマシになりました