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Q.霊的な人生における進歩の印とは何でしょうか
A.全ての不安からの自由。安心と喜びの感覚、内面での深い平和と外面でのあふれるエネルギーだ。Q.どうやってそれを得るのでしょうか
A.私自身は何もしなかった。師は私に静かにしなさいと言い、そして、私は出来る限りそうしたのだ。
Q.気づきの訓練とはどのようなものでしょうか
A.訓練の必要はない。気づきは常にあななとともにある。
Q.自殺のどこが間違っているのでしょうか
A.もしそれが問題を解決するならば、何も間違ってはいない。もし解決しないならどうなるのかね?ある苦痛に満ちた不治の病気や耐え難い災難のような外部的な要因で起こった苦しみなら正当性があるかもしれない。だが、智慧と慈悲の欠如による苦しみなら自殺は助けにはならない。愚かな死は愚かな再誕生を意味するだけだ。その上因果応報の法則も考慮に入れなければならない。☆忍耐は普通もっとも懸命な身の振り方なのだ
Q.なぜカルマを気にかけるのでしょうか
A.ほとんどのカルマは集合的なものだ。私たちは他者のために苦しみ、他者は私たちのために苦しむ。人類はひとつなのだ。この事実に無知であることはそれを変えることがない。
Q.あなたのいらっしゃる前でたばこを吸っても構わないでしょうか?
A.もちろん吸うがいい。誰もかまいはしない。
Q2.私は落ち着く必要があるのです。
A.ある人達にとってはそうなのだ。ある期間の修練の後、エネルギーに満ち、猛烈にはけ口を求めるのだ。
Q.なぜあなたは気づきだけが唯一の実在だと主張するのでしょうか? 気づきの対象物も、それが存在する限り、実在ではないのでしょうか?
A.だが!それは存続しないのだ!一時的な実在は二次的なものだ。それは永遠なるものに依存している。
Q.マインドを超えた彼方には沈黙があります。それについて言えることは何もありません
A.そうだ。沈黙についての話はみな騒音にすぎない。
Q.快楽は悪いことなのでしょうか?
A.身体とマインドを正しく使い、正しい状態に置くことは非常に快いものだ。幸福の追求を疑いなさい。あなたが幸福ではないから、幸福になりたいのだ。なぜ幸福ではないのかを見出しなさい。
A2.あなたのマインドの鏡の中であらゆるたぐいの画像があらわれては消えていく。それらが来ては去っていくのを沈黙の中で見守りなさい。この沈黙の観察がヨーガの根本的な態度なのだ。あなたはその画像を見ている。だが、画像はあなたではないのだ。
Q.私の友人のひとりである25歳の青年は不治の心臓病で苦しんでいます。彼は緩やかな死よりも自殺を選ぶと手紙に書いてきました。私は西洋医学でも治療できない病気も、何か他の方法で癒やすことができるかもしれないと返事を書きました。ボンベイの近郊に奇跡的な力をもった一人のヨーギがいます。私は何人かの彼の弟子と出会い、彼らを通して友人の写真と手紙をヨーギに送りました。何が起こるのかを見てみましょう。
A.そうだ奇跡はしばしば起こる。しかし、そこには生きようとする意志がなければならない。それなしには奇跡も起こらないだろう。
Q2.そのような生きるという欲望を吹き込むことができるのでしょうか?
A.表面的な欲望ならできる。だがそれは尽きてしまうだろう。根本的には誰も他の人に生きるように強いることはできないのだ。
※文章を一部読みやすくするために削減しています。