ニサルガの弟子、ラメッセ・バルセカールの『意識は語る』を読みました
この本は著者と探求者との対話が600p以上にも渡って記されています
私が気になった箇所は『覚者でも肉体精神的形質は残る』ということです
つまりどういうことかというとニサルガの数人の弟子でさえ『怒りっぽいマスター』『やさしいマスター』『煙草を吸うマスター』と一見して聖者のようではない人も居るということです
これは非常に重要だと感じます
逆に言えば 別に悟るために性格は関係ないし、食文化は関係ないということです 肉体的要素や性格的要素は個性があっても当然良いということです
「私はイエス・キリストっぽくないから悟れない!」というのは思い違いです