こんにちは アキラです
今日は精神世界の根本的な部分について考察していきたいと思います
あの世はある派
私は精神世界を信じる人達が、根本的に世間とどう違っているのかということを考えた時に、「あの世」は存在しているというスタンスで生きていることが挙げられると思います
逆に言えばいわゆる世間の人達は「あの世は存在しない 死んでしまえば全ては無になる」 と信じているということです
これは本当に馬鹿馬鹿しいことだと思います
私は世界が多層に存在しているということを知っていますし、そもそも霊界や神界が存在しないのであれば、祈りを捧げる必要もありません
夢見もそうですが、さまざまな知識の前提が「あの世」があるんだという前提のもとに築かれています
ここが信じられるかどうかということが、精神世界を勉強できるかどうかという分岐点になっているのではないか、と私は考えています
あの世はない派の馬鹿馬鹿しさ
なぜ、人はあの世が存在しないということを信じられるのでしょうか
「私は見えるものだけを信じているのであの世は存在しない」ということでしょうか そのような理論が通用するのであれば、空気でさえ曖昧でなものとなってしまいます
「いいや、酸素は認識することができる しかしあの世は認識することができない」
こういう風に反論させるかもしれません それならばなぜあなたは葬式をするのでしょうか 私は霊魂の存在を信じていないので、葬式には参加しませんと宣言することがなぜできないのでしょうか
それはこういうことを言う人は非常識な人間だと思われる可能性が非常に高いからです
しかし、人間は本気で信じられないことは拒否します
表面にはあらわれませんが、私は日本人の多くはあの世の存在を信じているのではないかと思っています
あの世の先に
あの世があるという前提があれば、死ぬことは怖いことではなくなります
それは実は、肉体という負債から開放されることであり、実は誕生と同じように祝福されるものなのです
しかし、今まで暮らした習慣や知識があるので、本当にこう認識することは中々難しいことだと思います
私は死に瀕したことはないので、その場面でどう対応するのか正直自信はありません
疑問があるなら、精神世界を学ぶべきだ
会社で働いていてこう考えたことがありませんか?
「毎日毎日苦しいことばかり 私はなんでこんなことをしているのだろうか?」
「生きてる意味って何?」
「人生って?」
こういう風な疑問を持ったことがある人は、精神世界を学ぶべきだと思います
入門書はOSHO(ラジニーシ)辺りが良いと思います
存在
そして最終的に行き着く疑問がなぜ存在しているのか?ということです ここまでくるともう地球上で答えられる人は存在しません
この哲学ルートは理屈っぽい人に向けた悟りの王道といえるのかもしれません