あるエゴが消えた
ある一部のエゴが消えた。それは私がもっとも執着していた承認欲求の一部だった。
具体的には「一生続けられる立派で名誉な仕事」を求める気持ちだった。
今はそれがほとんどない。自分が本当に求めているものはそのような仕事ではないと分かったからだ。
スキルやキャリアにならない仕事を選択肢にあげることはなかった。
それはもちろん年齢的な意味もあるし、周囲の説得もあるからだった
宇宙全史を読むとこういう問答がある
Q「自然保護観察(植物園か?)の仕事をどうするべきか」
A「あなたはそれに対して社会的な素晴らしい仕事というようなエゴを抱えている」
こういったものだ
自分は仕事に対するカルマが濃い。
仕事を選ぶ事も、仕事をすることも、仕事を辞めることも
報酬や責任の少ない仕事でさえ、全てが本当に苦手だ。
生きる道には様々なものがあり、それは無限に近く存在するそうだ
大昔の遊女達の話にも「それ以外の道があった」というようなことが語られているし、どうしようもない境遇の人々にもそのような意見が言われている。
私はこれを全く信じることはできなかった。
『そんなはずがない。こんなわけがない。』
覚めた目で文章を眺めることは毎度の事だ
今私の中にそのような葛藤はない
私には本当にそんな世界があるような気がしてきている
今年の活動で、世界は多種多様で(どうしようもないこともあるけれど)少なくとも私の小さな人生よりは多彩であるといことを知った
どうやら20代の頃に抱えていた仕事への嫌悪感はなくなったようだ
ドブ攫いでもゴミ漁りでもなんでも来いといった感覚だ
(ちなみに私は片付けは大好きだ。空き家は1年かけてやっと片付いた。)
自由な世界があるなんて今でも疑問に思う
絵に描いた餅でしかないように
けれども、きっと自分の本当の気持ちが叶うと信じて前に進むしかない
「マイペースに生きる」「マイペースを保つ」「のんびり暮らす」
自分の世界を創造するんだ