アキラの精神世界

明晰夢 瞑想 宇宙全史 など

世界の記述方法について

追記. 宇宙全史掲示板の過去ログが、画像の表示がおかしくなっています。私だけでしょうか??皆さま確認おねがい致します。(画像が超デカデカと表示されていましたら、私と同じ不具合です。)

 

 

 

こんにちは。今回はカスタネダの理性を含む世界の記述方法について復習していきたいと思います。

f:id:clark3:20200425073851j:plain

f:id:clark3:20200505144744j:plain

f:id:clark3:20200505144756j:plain

 

上の2つの図をご覧ください。1つめはインターネット上で拾った物です。2つめは呪術の彼方へというタイトルの巻末にある資料です。

細かい点で違いはありますが、概ね2つは同じ意味を示していると思います。

 

私達が世界を記述する方法は8種類ある

また2巻目の一部に私達は8種類の世界の記述方法を持っていることとがドンファンから語られます。その内の1つは理性であり、2つ目は感じることです。残りの8つは説明されていません。

 

図解

まず理性は話すことと繋がっています。これは実際に喋りかけてくるという意味ではなく、通常の例えば石を石ころと認識する方法になります。

 

また話すことは [ 見る(seeing) 夢見る 感じる ]の3種類の方法で意志と接触しています。この意志にふれることで、間接的にナワールを掴むことが可能となります。

 

見ることの注意点

注意点としては、見るというのは実際に目で何かを認識することではありません。それ以上の何かであるということで省略して説明しておきます。私も完全に理解している訳ではありません。

逆に夢見るというのは分かりやすいですね。夢を見ることはそのまま夢見ることです。現実を夢見ることも可能ですが、それは肉体で行われる訳ではありません。

感じるというのを直感と訳すかどうかは微妙なところです。確かにフィーリングが直感になることもあると思いますが、全ての直感が感じることかといわれるとそうは言えないと思います。

 

 

 

石ころは石ころではない

石ころを石ころと認識すること、という概念の対比は、石ころは只の石ころではないということです。これは影を見ると分かりやすいですね。影はただ目で見ると影ですが、実はそれ以上の情報を持っています。見る者の訓練では、影を影以上の物として実際に認識しようとする訓練があります。この場合では、カスタネダが、女性のナワールと一緒に訓練する様子が描写されています。

 

 

沈黙について

瞑想や、沈黙について。

 この話すことを止めることが所謂、【沈黙の力、想念停止】等と呼ばれる概念です。実際細かいテクニックは色々でてきます(例えば、水平線または地平線を眺めることで、トナールに圧倒的情報の洪水を流し、話すことをやめる。等)が、それらはつまりお喋り...通常の世界の描写を止めるということです。瞑想もそのテクニックの一種だと言えるでしょう。何かのショックで一瞬話すことが止まり、世界の記述方法が変わって異次元を見る人もよくあることだと思います。

 

意志について

 意志とは人間の丹田辺りから伸びている一本の触手のことです。実際に描写すると、光り輝く人間の卵から伸びている一本の光輝のように見えるようです。勿論これは見るものの描写であって、我々の目にそう見える訳ではありません。

 

宇宙全史による解説

 ここで分かりづらい 意図・意志・意識について復習しておきます。

 

 

左側 2020/1/7 No.424

①「意識」とはこの現れの宇宙における根源的なエネルギーである。

②「意識」は真我から最初に染み出たもので、その出た瞬間に二元性を発現する。

③オーム宇宙における原初の二元性は、意識が陰陽に分かれた時に発現したとする。

④陰陽に分かれた意識(エネルギー)は、確かに二元性を構築し続けるが、それが陰であれ陽であれ意識自体はあくまでも二元性の範疇にはないともいえる。

⑤原初のオーム宇宙における陰陽の配分は、若干陰が勝っていた。

 

・意識は宇宙に遍満するエネルギーであり、全ての源である。ただ意識自体に二元性はなく、陰陽に分けたために二元性が発現している。


・そして、その意識が二元性の中で目的を持ち、方向性を示すとき、それを意図と呼ぶ。

 

 

 

・ギリギリ二元性を発現していないのが「意識」

・「意図」は意識から出て来るもの

 

 

 

意識に二元性があるのか無いのかという点が分かり難い感じですね。ただ単純に陰陽に分けたから、一応二元性を持っているといった感じです。持たされているというか勝手に白と黒を塗られたみたいな印象がありますね。

 

まとめ

 ・世界の記述方法は8つある。その内の1つが理性である。

 ・認識の樹(私が勝手に名付けました)のような手順で、私達は意志を通じてナワールに触れることができる。

 ・そのためには沈黙が必要である。

 

 

・どっぺんさんとのセッションについて返信

 

どっぺん)【言葉にする限界を超えて表現する詩があるでしょうか。】という一文を思考させていただきます。

 

まずなぜ実存の表現が【詩】であるのか、そこを確信している部分が私(達)からすると分かりませんでした。

確かに、理論的な言葉よりは、芸術(詩や、絵、音楽など)の方が実存を表しやすいような気がしますが、私の場合は確信するまでには至っておりません。

ここでアインシュタイン相対性理論を引用します。 [ E=mc²
私は相対性理論は一切理解できませんが、その美しさ...。スマートさは分かりません。めちゃめちゃ短い訳です。

逆に言いますと実存は何文字で表現できるのか、という仮のお題に対しては【3行以内(100文字以内)】と私は(無根拠ですが)表現できると考えています。

私の方には全く根拠が無いのですが、どっぺんさんが 【実存を表現できる詩があるの??】と質問していることはかなり正しいのではないかと思っています。

質問本文は[

②五感や思考を越えた認識の在り方とは、直観あるいは意味自体が伝わってくるようなものなのでしょうか。

・理性以外の認識力として直感がある。
ここら辺は質問として分かりやすいですね。お答えもスパっと返って来そうな気がします。上は私の解答です。

]です

 

それに対する

[ 言葉にする限界を超えて表現する詩があるでしょうか。]

やはり実存の表現は詩である。というのは王道を行っている感じがします。

 

 

 

そのため、私の解答としては

どっぺん「言葉にする限界を超えて表現する詩があるでしょうか。」

アキラ「(実存を言葉で表現すると)多分短いでしょうね。」

 

こんな感じです。これで合っているのかどうか分かりませんが返答とさせていただきます。ありがとうございました。