この記事は私の回顧録です
私の人生は、インターネットとコンピューターに囲まれた人生でした
小学校低学年までは周囲と同じ格好をした、ごく普通の少年でした
5、6年生のときに、バスケットボール部へ所属しましたが、あまり楽しくはありませんでした
5年生のときにキャンプで、ナタで指を斬るという大事故をやらかしました
(3針縫って無事に治りました)
5年生のときに、コンピューターを放課後に使う権利というエサに釣られて、作文の発表を行いました 作文のタイトルは『私はどうして生きているのか?なぜここにいるのか?どうして死ななければいけないのか?』といった哲学的な内容でした。5年生の担任教員が驚いていたのを今でもハッキリ覚えています(探求の切っ掛けはこの頃には既に持っていたようです)
私のアイデンティティが色濃く形成されたのは中学校のときでした
私が中学生の時はポケットモンスターや遊戯王などが流行っていました
田舎の学校ですから部活動は強制でした
バスケットボールと柔道を経験しましたが、これは人生の中で最低の経験でした
私はこの時に自殺していたとしても何の不思議も無かったと思います
(部活の強制は法律に違反していることです
しかし、今でも多くの中学校では部活が強制されています
教職員すらそれを拒否する力がないということは、本当に情けないことです)
高校に入学したお祝いに富士通のノートパソコンを親から貰いました
CPUがセレロンでした ラグナロクオンラインを遊んだり、無理をしてファンタジーアースゼロを遊んだりしていました
数年後、たまたまそのパソコンを買った電気屋の店主がリベラルな方で
グラフィックスカード付きの自作パソコンを売って貰えました
これがなければ私のコンピューター人生も、ここで潰えていたことでしょう
心身共に部活でボロボロになりながらも、根拠のない自信を発揮して高校受験を突破し、公立高校に入学しました
他人を一切見ることができないような、酷い精神状態でした
1年ほど高校に通いましたがあえなくドロップアウトしました
担任の教員のミス(これは意図的なものではありません)により
他校への転入が半年ほど遅れ、1年歳をとったまま
大阪のコンピューター専門学校へ入学することとなりました
家庭では尊大な暴君 世間では小心者のネズミ
私の技術はテレビのリモコンも満足に扱うことのできない
母親と比較するものでした
家にいる間私の自尊心は無駄に拡大し続けました
私は機械に強いと思い込みました
就職の第一志望はトーセでした
デベロッパーでは有名なところです
社会に一歩踏み出したそのときに
私の技術が比較される対象は
母親からトーセの社員まで、跳躍しました
私は根拠のない自信をここでも発揮して最終面接まで到達しましたが
労働に対するすさまじい虚無感に足をひっぱられ
最終面接でとんでもない受け答えをしてしまい、数個の部門からでていたせっかくの仮採用をすべて無にしてしまいました
その後2年程度自宅で引きこもりました
地元の水産業で働きつつ、26歳の時には介護職に挑戦しましたが、3ヶ月で辞めました
その時通った介護職員実務者研修の職業訓練は、今まで生きてきた中で、最も幸せな時間でした
残念ながらプログラマーとしては花を咲かすことができませんでした。
国家資格である基本情報技術者は取得できたので学校に通った意味はありましたが、お金や労働という面では成果をあげることは出来ませんでした
最初からエンジニアになる可能性がないならよかったのですが、ある程度成功する可能性があったことが、私を深いクレバスに引きずり込んでしまいました
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社会には目の見えないクレバスがあちこちに開いていて
あなたを引きずりこもうと手をこまねいています
私は環境が変わるたびにそのクレバスに幸運?にも引っかかってしまい
堕落した環境まで墜落していきました
一番下まで落ちたときに【宇宙全史】というワークにめぐり合うことができたので生まれてきた意味はありましたが それまでは苦痛しかない、悲惨で、耐えようの無い人生でした
無意味さのもたらす苦痛は肉体的な苦痛とは比べ物になりません
クレバスとは境界線をあらわしており自我のことでもありますが、世界に口を開いているトラップの意味も含まれています
このクレバスという裂け目に引き裂かれないよう
私たちは傷つきながら生きていくしかないのです