アキラの精神世界

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11月6日の夢

こんにちは アキラです むず痒いような頭痛が続いています

夢の描写もハッキリとしません

記憶はしっかりあるのですが、なんというか抽象的というか物語風で言葉にまとめにくいです

ま、散文になりますが書いていきます ご容赦下さい

 

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第一部

宿舎のような場所で沢山の若者たちと暮らしている

その内の1人はアイドルマスターのアナスタシアというキャラクターにそっくり

文化祭のような楽しげな雰囲気もあるが、訓練だけはしているようだ

 

第2部

複数の魔法使いと一緒に行動する

彼らは配下に不思議な生き物を従えている

なぜか自分・魔法使い・不思議な生き物の全てが魔法を使えなくなっているようで

どうすんだよ!逃げるしか無いだろ!と口論のような状態が起こっている

その世界には魔物が沢山はびこっており大変危険

 

第3部

これは一度起きてから、また寝た時に見たものである

全編的に性的な内容を含むため描写不可

 

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また眠る前に性的な妄想が爆発していました

これはEOの著書に書いていたことですが、覚醒レベルが高まると

それまで発散されていない欲望または想念が、溢れ出てくるようです

「これを解消しておかねば、たまったものに一気に向かい合うことになるので辛くな」る」...といったことが書いてあったと思います

多分この現象が起きているのだと思います

 

また「私は在る」という感覚がどういうものなのかさっぱりわからなくて、これについて何度も何度も考えていたのですが、1つだけハッキリした感覚が得られました

 

それは、「意識点を意識する」というものです

人間には2つの意識の点があります 1つは皆さんよくご存知の対象を認識することです

今まで聞こえなかった音や、見えなかった物を認識するとこの点の存在はよくわかると思います

またこれとは別に頭頂部にまったく動くことのない意識の点が存在しています

ちょっと逸れますが瞑想を進めるためには意識をこの頭頂点において多くと修行が捗りやすいですよ

 

もって30秒くらいですが、この「意識点を意識する」という作業を繰り返しています

本当の私は在るという感覚は、寝ている間でさえ継続するものなので、これは間違いなくまがい物なのですが、入り口としては適当なところなのではないでしょうか

 

こんな所でしょうか

 

挑戦しなければならないことが待っています

恐怖を克服するのは相変わらず苦手ですが

戦わないとどうしようもありません

 

どうか、幸せでありますように

ラマナ・マハルシの教えⅡ

続きです

 

A「感覚が暗闇に融け入ったときが深い眠りで、光に融け入ったときがサマディーです」

 

A マハルシは16歳のとき、町中で金色のマングース(普通は灰色)に出会い、じゃれ合うという予兆を経験した

 

Q「完全な至福にとどまることを何が妨げるのでしょうか」

A「1.自己の純粋な存在を忘れるという無知 2.その体験を疑い始めること 2.私は身体だ 世界は実在だという誤った概念などにある」

 

A「深い眠りの中にあなたは存在してます 目覚めにおいてもあなたはそこにいます 同じ自己がその両方の状態にあるのです 違いは世界に気づいているかいないかだけです」

 

A ヘブライ語のエホヴァは「私は在る」という意味である ※この発音は特定の人物をあらわす名前でもあります 注意してください

 

A「真我は光でもなく、暗闇でもありません それはただあるがままにあるのです」マハルシはスカンダールアヌブーティから引用した「実在でも非実在でもなく、闇でも光でもない、それはある」

 

A ネーティネーティとは「これではない、これではない」という意味である

 

ーいわゆる計画についてー

Q「神の全体計画は本当に良いものなのでしょうか」

A「計画は実際良いものです 過ちは私たちの方にあります 私達が自分自身を正せばすべては正しくなるでしょう」

 

ー自分自身を救えないということー

A「自分自身を救えないからこそ、私たちは至高なるものに完全に自分を明け渡さなければならないのです」

 

ーグルに会う方法ー

Q「自分にあったグルに出会うための方法があるでしょうか」

A「強烈な瞑想がそれをもたらすでしょう」

 

 

ー深い眠りはサマディーかー

Q「深い眠りはサマディーに非常に近いものだという印象を受けるのですがそうなのでしょうか」

A「質問するのは目覚めている私であって眠っている私ではありません もしあなたが目覚めた状態においてサマディーと同じである目覚めた眠りという状態に達したならば疑いはおこらないでしょう」

 

 

 

 

 

私がこれらの文章を読んで、そこからにじみ出てきた言葉

 

・ 深い眠りのとき、私は存在している

 ・瞑想は真我に到達するまでの、入り口に過ぎない

 

 

ラマナ・マハルシとは

こんにちはー 今回はインドのある覚者についての記事です

 

ラマナ・マハルシとは

ラマナ・マハルシはインド系のブッダ(覚者)です

 

著書

彼の著書は対話集が3冊でています この本は1935年から1939年の間に収録されました

ここには輝くような言葉が沢山あります では早速紹介していきましょう

 

ラマナ・マハルシとの対話1より

A「もしあなたが夢の中に何人かの人をみて、それから目覚めて夢を思い出した時、夢の中の人々も目を覚ましたかどうかということを確かめようとするでしょうか?

 

Q「霊的な師を2人もっても良いのでしょうか?」

A「師とは誰でしょうか? 結局真我が師なのです 真我が人間の形として師を遣わしているのです インドのアドヴァータは24人以上の師をもっていました 師とは何であれそれから学ぶことの出来る対象を言います アドヴァータがそうであったように 師は無生物であるかもしれません 神、グル、真我は1つなのです」

 

A「原子の行動さえ心によって発見されました したがって心は原子よりも微細なものなのです 心の背後に存在する魂はそれより微細で精妙なものなのです」

 

 A「深い眠りの中で、人は自分の身体も含めて何も所有していません それにもかかわらず不幸であるどころか全く幸せなのです 誰もがぐっすり眠ることを望んでいます つまり幸福は本来人に備わったものであり 外的な原因によるものではないということです」

 

 A「世界とは目覚めと夢見の状態の中で感じられるものであり、また思考と知覚の対象でもあります どちらも精神的活動です もし目覚めや夢見という想念の精神活動がなければ、世界を知覚することさえないでしょう 眠りの中にそのような精神的活動はなく世界と対象も存在しません したがって世界の実在性は眠りの中で魂によって飲み込まれ自我によって創造されたと言えるでしょう」

 

マハルシはバガヴァッド・ギーターから第18章17節から引用した
 自我という概念から自由で、知性に執着しない人は、たとえ全世界を滅亡させようと彼が殺したということはなく、行為の結果に縛られることもない

→ちょうど五井先生がこの実例を示して下さいました
 彼には行為の結果に対する執着がないようでした

 

 

 

(※五つの鞘とは、真我を覆い隠すもののこと
 1.身体の鞘 2.生気の鞘 3.心の鞘
 4.知性の鞘 5.至福の鞘 )

 

 

ボリューム満点

これでたった1/10です!
なんて面白い対話集なのでしょうか!

編集者はこれを純金のように価値があると述べていますが
全くその通りだと思います

ラマナ・マハルシの教えⅠ

こんにちは

 

今回の記事は「ラマナ・マハルシとの講話集Ⅰ」の抜粋です

この本から気になった点を紹介していきたいと思います

 

 

ー眠りのない眠りー

A「真我は常に存在し、真我なしには何も存在しません。真我は眠り、夢見、目覚めという存在状態の鑑賞者です。眠りの状態の中でも、あなたは存在していなかったでしょうか。眠っている間、あなたは自分が眠っていることや世界に気付いていないことを知っていましたか。あなたが眠りの体験を自覚のない状態だっと描写するのも目覚めの状態においてだけです。眠りの状態の意識は目覚めの状態の意識と同じものなのです。もしこの目覚めの状態の意識が何であるかを知っているなら、あなたは3つの全ての状態を観照する意識を知ることになります。そのような意識は眠りにおける意識を探求することで見出すことができるのです」

Q「その場合私は眠ってしまうでしょう」

A「それでもかまいません」

Q「それは空白状態なのです」

A「見出しなさい いつであれあなた自身の存在を否定することはできないはずです」

Q「あたかも眠りの中にとどまりながら、しかも同時に気付いているべきなのでしょうか?」

A「その通りです 気付いていることが目覚めの状態です それゆえ、それは眠りの状態でなく、眠りのない眠りなのです。想念の起こるがままにまかせていたら、あなたは自分を見失い、果てしなく迷路をさまようだけでしょう」

 

ー適切な座位ー

Q「どれが最も良い座位でしょうか?」

A「どの座位でもかまいませんが、楽な姿勢の半跏趺坐が良いでしょう。しかし、知識の道を行く者にとってそれは重要ではないのです」

 

ー仕事の影響ー

Q「仕事は真我実現に影響を与えるでしょうか?」

A「いいえ、行為は真我に影響を与えることのない単なる現象に過ぎないのです。例え行為をしているときでも彼には行為者であるという感覚がありません。行為は自然に起こり、人はそれを執着心無く見守り続けるだけです。このような行為に目的はありません」

 

ー不幸の影響はなくなるー

Q「修練とは何でしょうか?」

A「自我の源である私をたゆまず探求し続けることです。私は誰か?それを見出しなさい 純粋な私は実在であり、絶対的な存在ー意識ー至福です。それが忘れられた時、あらゆる不幸が起こります。それをしっかり捉えれば不幸がその人に影響をあたえることはなくなるのです」

 

ヨーガとは合一という意味である

 

★ー戦争の正統性ー

Q「戦争は正当化できるのでしょうか?」

A「常に真我の内にあり続ける覚者にとって、一人の生命、あるいは数人の生命、あるいはこの世の全ての生命、または三界のすべての生命が失われたとしても。何の違いもありません たとえ彼が全ての生命を破壊することになったとしても、そのような純粋な魂に罪が触れることはないのです。 マハルシはバガヴァット・ギーターの第18章17節から引用した 「自我という概念から自由で、知性に執着しない人は、たとえ全世界を滅亡させようとも、彼が殺したということはなく、行為の結果に縛られることもない」」

 

※破壊の神シヴァはその力で世界のあらゆる不幸を破壊することができる。といわれています 五井先生の執着のなさでもはっきりとあらわれていますが、彼らにはこれほどまでに強大な力が与えられているようです この部分は一見すると非常に危険な要素でもあります 覚醒は危険なことでもあるでしょう

 

ー夢の中の人々ー

A「もしあなたが夢の中で何人かの人を見て、それから目覚めて夢を思い出した時、夢の中の人々も目を覚ましたかどうかということを確かめようとするでしょうか?

 

ー超自然能力についてー

A「超自然能力(シッディ)とは能力が拡大されたものです 限られた能力を持つものは不幸です それゆえ幸福になるために能力を拡大しようとするのです しかし本当にそうなのか考えてみなさい もし限られた能力のために不幸だと言うのなら、能力が拡大するに従って不幸も拡大することになります 超能力は幸福をもたらすのではなく、人をより不幸にするのです 」

 

ー修行者の食事ー

Q「修行者のために指導される食事とはどのようなものなのでしょうか」

A「決められた量の清らかな食事です」

 

Q「肉を料理するということは生命を殺すことではないでしょうか」

A「非暴力はヨーギーの修行にとって最も重要な規則です」

Q「植物さえも生命を持っています」

A「あなたが座っている床の石さえも!

 

※この問答は非常に衝撃的でした 床の石が生きているということは、目に見える全ての物質は生きているということです 

 

Q「どうしてあなたはミルクは飲むのに卵は食べないのですか?」

A「家畜の牛たちは、子牛が必要とする以上にミルクをだすため、ミルクを搾られることに喜びを感じるのです」

Q「でも雌鳥も卵を抱えきれないのではないでしょうか」

A「しかし卵の中にはやがて生命となるものが宿っています」

 

ー5つの鞘を超越したものー

A「簡単に言えば、私は5つの鞘を超越したものです。次に真我ではない全てを否定し続けた後に残るもの、それが真我 存在ー意識ー至福なのです」

(5つの鞘とは真我を覆い隠す、身体ー生気ー心ー知性ー至福のことである)

 

ー心とは何かー

Q「心とは何でしょうか」

A「心とは生命の顕現の一形態です。木片や精密な機械が、心と呼ばれることはありません。生命の気が生命活動としてあらわれ、また心という意識的現象としてあらわれるのです。」

 

ー世界の実在性ー

A「世界の実在性は自我が眠りの中から出現することによって自我によって創造されたといえるでしょう。そしてその実在性は眠りの中でその本性を回復した魂によって飲み込まれ、消え去るのです。」

 

ー集中力を高める方法ー

Q「集中を高め、散漫を取り除く方法が何かあるでしょうか?」

A「身体的には、消化器官や他の内蔵器官への刺激を避けなさい。食事の量と質の両方を管理しなさい。眠気や興奮、そしれそれらを促進する食べ物を避けなさい。精神的には1つのことに興味を持ち、心をそれにとどめなさい。他のすべてを忘れて没頭できるようなことに興味をもちなさい それが無執着と集中です 神やマントラを選ぶと良いでしょう そうすれば心は霊妙なるものをとらえるほどの力を得て、その中に溶け去るのです」

 

ー夢見と目覚めの違いー

Q「夢見と目覚めはどのように異なるのでしょうか」

A「夢の中で人は異なった身体をとります。そしてその身体は、夢で感覚的接触をえたとき、再び目覚めの身体に入るのです」

 

ー真我に到達するにはー

Q「真我に到達するにはどのような努力が必要でしょうか」

A「私が破壊されるべきです 真我とは到達するべきものではありません 真我が存在しないときなどあるでしょうか?それは新たなものではないのです 真実なるものは常に存在しているのです」

 

ー真我の中、世界の中ー

A「私たちは真我のなかにいます 世界の中にいるのではないのです」

 

ー心を制御するにはー

Q「どうすれば心を制御できるでしょうか」

A「2つ方法があります 1つは心とは何かを観ることです もう1つは注意を何かに集中させることです」

 

ー想念を越えた意識ー

Q「想念を超えた意識を得ることは可能なのでしょうか」

A「可能です 目覚め、眠り、夢見の状態に共通する1つの意識が存在してます 眠りの中の私は真の私なのです それは眠っている間も常に存在しています それが意識です」

 

ー想念はいらないもの?ー

A「想念は他の活動のように至高の意識を妨げることはないのです」

 

ー眠りの中に在る私ー

A「深い眠りの中であなたは、「私は眠っている 今目覚めようとしている 私はずっと眠っていた」 等とは言いません しかし、それでもあなたはそこに存在しています」

 

ー人はどのように眠るのかー

Q「人はどのように眠りに入っていくのでしょうか」

A「目覚めの状態で目覚めているのは誰なのかを知るならどのように眠りに入っていくのかも知るでしょう」

 

ー眠りのない眠りー

A「自我があらわれる前まで戻れば、眠りのない眠りという区別も分別もない、あの幸福な状態に達するでしょう」

 

ー死ぬことは良いことー

Q ある人の死が伝えられた

A「良いことです 実際死者は幸せなのです 彼らは大きくなりすぎた身体を厄介払いしたのです」

 

ー瞑想と散漫の違いー 

Q「瞑想と散漫の違いはありますか」

A「違いはありません 想念があるときそれは散漫であり想念がないときそれは瞑想です」

 

続きます