アキラの精神世界

明晰夢 瞑想 宇宙全史 など

悪魔の体と人間の心

こんにちは 今回は珍しく映画の感想を書いてみました

 

 

 

f:id:clark3:20180118093113j:plain

 

ネットフリックスで映画デビルマンをみました

 主人公の名前は私のハンドルネームと同じで アキラといいます

 

良心の描写

宇宙全史では『良心』について何度か説明されています

良心とは私たちの根源からくるエネルギーのことで、気づきのよすがとなるものです

このデビルマンという映画には人間の心をあらわす良心の描写が各所に散りばめられており、本心を理解するのにとてもよい作品だと思います

 

 

私の前世は昭和の日本人?

変なことを言いますが、私は前世でデビルマンを見たのではないか?と思わずにはいられませんでした

私は平成生まれのため、デビルマンは全く存じ上げていません

しかし...なんというかはじめてみたような気がしないんですよね

(もちろん、この映画をみるのははじめてなのですが)

 

アキラは良心を感じ、涙を流す

彼には良心を感じる力が備わっていて、実際に会った人間は当然として、写真や動画からですら他人の悲しみに共感することができます

この慈悲の心があるのめ、彼は作中で何度も何度も涙を流しています

 

アモン・ラーの憑依

アメン - Wikipedia

 

アキラは親友の男に連れられて、ドラッグパーティーのような場所で、悪魔を宿らせます

そして、圧倒的な力をもったサタンと主人公のアキラ(アモン)は対峙することになります

アキラはいいます『私は悪魔の体を持っているが、心は人間だ』と

 

魔法使いの理想

悪魔のような、誰にも負けない強靭な力(肉体)と、バランスのとれた精神を持ち合わせることは、一生をかけても到達するかどうかわからない最高の理想の地点です それを体現しているアキラには物語の登場人物でありながら、感情移入せざるを得ませんでした

 

最終的な結末はネタバレになるのでここでは書きませんが、その結末がとても示唆に富んだ内容であったことは間違いありません

 

外見と中身は本当は関係ない

つくづく思うのですが、外見と中身は全く関連付いていないということです

恐ろしいほどの美貌をもったサタンは、愛を感じることができない 残酷な存在です

その力や美貌につられて彼を信じてしまった人々の辿り着く場所は、戦争という悲劇でしかなかったのです

 

私たち人間はあまりにも欲望や不安に弱いです

 

欲望や不安に負けず、強い精神力をもち、自我を克服することができるなら、次の世界にはたどり着くことは簡単なことだと思います

 

 執拗に名前を求めるセレーヌ

序盤の強敵にセレーヌという悪魔がいます

彼女は女性であり、主人公に憑依しているアモンの恋人でした

彼女は彼を取り戻そうとするあまり、アキラに猛烈に攻撃をしかけたのです しかし、それは失敗に終わりました

瀕死の意識の中で彼女は部下の悪魔の命を使って...

といった話がありました

 

彼女は名前に拘っていて、何度も何度も私の名前を呼べといったり、お前の名前はなんだ?とアキラから言葉を引き出そうとしていました

 

日頃、精神世界に縁のない人達は名前にそれほどまでの秘められたエネルギーがあることは知りませんし、生活していく上で、名前を秘匿することはほぼ不可能なのことです

 

相手を名前を知るということが、どれだけ力をあたえることなのかということが、このアニメでは示唆されているのではないかと思いました この話は蛇足のように感じるかもしれませんが、とても重要なことです

 

 

 

 

沈黙の力 まとめ5

こんにちは 今日はまとめ第5回目です

4章の内容があまりにも多いため、1回でまとまり切れませんでした

 

この本は何度も読んでいますがいまだに消化しきれません

本当にカスタネダは良い本を書きました

 

・目の輝きと視線について

 まず大前提として、呪術師は目の輝きと視線を重要視する

 目というものは意志と直接結びついている

 集合点が動いていく場所は特定の目の輝きによって示される

 呪術師の目はそれ自身の記憶をもっているため、どんな場所でもそこに関連した特有の輝きを呼び起こすことで、その記憶を蘇らせることができる

 矛盾して聞こえるかもしれないが、実は日常生活の世界と目の間にはごく表面的な繋がりしか無く、より深い繋がりは抽象との間にある

 それらは自分の目の輝きを使って集合点を動かし、思うがままに想起できるという意味でもある

生きとし生けるものの目は他の生物の集合点を動かすことができる 特にその目が世界ではなく、意志の上に注がれているときには

よい狩り人は目で獲物に催眠術をかける

 

憐れみの無い場所とは、ある特定の集合点の場所である そこで、非情さが生まれる

 

憐れみの完全な欠如こそが、非情さの正体である

 

会話というのは人を想起に導くためだけに用いられるものだからだ

 

一度集合点が移動すれば、経験したことの全ては蘇る

 

呪術師の行うことは、すべて彼らの集合店の所産であり、またその動きは彼らが自由にできるエネルギー量によって左右される

 

どんな人間の中にも沈黙の知という誰もが直観できる暗く巨大な湖があるのだ

 

直観をこえていくために必要なのは

第一に集合点の存在を理解すること

第二に集合点を移動させることである

 

より短くまとめるなら、知覚の内容は集合点の位置によって左右されるということである

 

2重性というのは、集合点のあたらしい位置からみた光景のことだ

 

言葉では説明することのできない沈黙の知 こそが意志であり、精霊であり、抽象なのさ

 

集合点が移動することは、死ぬことに似ている

自分のなかのあらゆるものがバラバラに切り離され、それから大きな力の源と結合し直すんだ

この時のエネルギーの増幅作用が身を切るような不安感として感じられるのさ

このときできることは、ただじっと待つことだけだ エネルギーの噴出は自然と止まっていく

 

昔の人類は、おそらくもっと深いところで沈黙の知と繋がっていた

しかし理性が強くなるごとに自我が発達し、人類は沈黙の知との繋がりを失っていった(P191のこの文章は大変重要なポイントだと思います)

 

 

 

 

魔眼などと言われるように、魔術と目は大変強く関連付いています

私はこの辺りの話はあまり詳しくなく、まだまだ消化しきれていない内容が沢山あります こうしてブログに内容を書き起こすのは、その知識の漏れを防ぐためです

もう3回は読みましたがこの辺の内容は本当に難しいと感じます

自由になりたい人へ

こんにちは 今日のテーマは自由です

 

f:id:clark3:20180116144255p:plain

 

 

 

なぜ精神世界を学ぶのか

私はなぜ精神世界を学ぶのでしょうか?

また精神世界を学ぶことで何が得られるのでしょうか

 

 

自由への翼

精神世界は「自由への道」などと表現されることがあります

これらの知識は人間を解き放つ効果があり、人間を自由にする力があるのです

したがって「私は自由でありたい!」という欲求がある人は精神世界を勉強するメリットがあるといえます

 

なぜ人類は自由ではないのか

ここで疑問に思った人もあるかもしれません

なぜ人間は自由ではないのか?ということです

これはかなり段階の高い情報なので中々お伝えすることが難しいのですが、残念ながら人間は食物のように食べられる立場にあるということです

 

どうすれば自由になれるのか

精神世界で行われていることはシンプルな1行に集約することができます

 

それは エネルギーを貯めること です

 

エネルギーさえあれば その範囲に応じて自由になることができます

 

シンプルなことです

 

ではどうすれば具体的にエネルギーを貯めることができるのでしょうか

 

苦痛から逃れるために

ここで1つ大きなテーマがあります

それは苦痛です

実はこの苦痛というものはあなたが存在する限り追いかけてくるものなのです

例え死んでもあなたが残り続けている限り、苦痛から逃れることはできません

この事が地球を 養鶏場 穀物畑だとか揶揄される一因にもなっています

 

仏教の

「存在は苦である」というのはあまりも有名な言葉です

 

本当の自由を目指して

精神世界を学ぶ目的は、このように人類を覆っている囲いについて知っていくことが、自由への手段となるからです

あなたの人生が、今苦痛にまみれているのであれば、精神世界を学ぶ意義はとても大きなものがあると思います

 

沈黙の力 まとめ4

こんにちは まとめの第四回目です 

内省の鎖を断つことは素晴らしいことだが、多くの人間はそれを望んでいない

我々の考えることや言うことの一切が集合点の位置に左右されている

その鎖は私たちを釘付けにすることで、未知なるものの攻撃から身を守ってくれている

タリアという弟子は高められた意識状態に入ったのち、集合点が安定すると以後永遠に高められた意識状態にいることとなった。女性はこのような能力がある

女性たちは集合点の位置を永遠に保ち続けることができる

男性はそうではない

この力は女性がもつ安定性という力として現実にもあらわれている

 

私たちも精霊の道具に過ぎず、意志の支配下にあるガラクタの1つに過ぎない

私たちはあらゆるものと繋がっている

意志はどんな方法を使ったとしても人間が利用したり支配したり動かしたりできるものではない、にもかかわらず人はそれを思うままに利用し、支配し、動かすことができるのだ

 

忍び寄りとはふるまいの体系であり、完全無欠な行動をあらわすことだ

 

私たちは意識をもつ生き物であり、意志と環で繋がっている

 

私たちは精神の安定を得るために猛烈な努力をしなくてはならない

 

沈黙の知は意志との直接の接触にほかならない

 

呪術の物語の抽象の核はわれわが意志を認識する度合いを映すものなのだ

 

落ち込むようなことがあったとして、それは闘いであり、自分には何の価値もないなどといって、自己憐憫にふける意味はない

 

戦士は凄まじい非情さをもつが、同時にそれを出来る限り悟られないように隠しておかなければならない。

 

そして私たちが本当の意味で自由奔放に、それぞれの運命に立ち向かっていく限り、それがどんなものであろうと全く問題にはならないのだ

 

戦士は絶えず、自分自身に忍びよる必要がある

 

封じ込められているという感覚は意志と繋がっていることを思い出すよすがとなる

 

忍び寄りとはひとつの極単純な手続きである。いくつかの原則に従う特別なふるまいなのだ。このふるまいはこそこそと人目を忍ぶような詐欺的なもので、揺さぶりを与えるために企図される。つまり自らに忍びよる時非常で狡猾なやり方で自分自身の振る舞いを利用して、自分に揺さぶりをかけるのさ。

 

簡単にいうと、死を意識することだ 私たちの目前に迫った避けることのできない最後を知ることが、真の平静さを私たちにもたらしてくれる 逆に、不死の感覚に埋没することはもっとも高くつく間違いである

 

死が、忍耐強くしかも行動的であるための勇気を。愚かであることなしに従順であるための勇気をもたらす

死が、うぬぼれぬきで狡猾であるための勇気を、そして何より傲慢にならずに非情であるための勇気をもたらす

 

詩は自分自身に忍びよるために活用することができる。圧倒的で抽象的な死が自らの勇気を奮い立たせていく

 

カスタネダが詩を読み、ドンファンがそれを聞くことで、彼は内なる沈黙に弾みをあたえる すると詩と沈黙がたがいに結びつきそれが揺さぶりをもたらすのだ。

 

※ちょっとやってみましょう

 

『古池や 蛙飛び込む 水の音』

 

読書、文学、芸術にふれるとき、私たちは作者と一緒にその本質を見ることができる

 

詩が惜しみなく私たちに与えてくれる、美という力のもたらす衝撃や揺さぶりが、忍び寄りなのさ

 

生はアリーナやフィールドであり、死は私たちが立ち向かうたった1つの挑戦者である

 

死に打ち勝つことで、それは私たちに挑みかかることをやめる

 

そして呪術師の思考は想像を絶するものに、とんぼ返りをする

これは知覚の障壁が破られるということである

 

圧倒的な無関心さはエネルギーの移行をあらわす

集合点を固定する力が開放されると、それは自動的に例の環に集まっていく

 

彼らには過去を変える力さえある 個人を超越した目的が、時空をこえ、驚くべき成果を達成させるのだ

 

それらは、自分と意志のつながりをうまく操作して、現実に物事を変えてしまえるのさ

 

物語は偵察として利用することができる。放たれた偵察は知覚の限界をこえて旅立つのだ。

 

非情さは自己憐憫の対極に位置するものである

 

想起することは集合点を移動させることと関係がある

 

ただ精霊と接触するだけで、集合点は移動するのだ

 

私が疑念を消し去ることで、魔法は私を手中に収めるのだ

 

カ「どうすれば考えるのを止められるんだ?」

ド「お前の集合点の移動を意図するのさ」

 

呪術師の目は輝いている その輝きが強いほど呪術師は非情になる

 

想起するというのは、思い出すことと同じではない

 

想起することは集合点を移動させることである

 

集合点が過去の位置に動くことで、呪術師はその過去の場面を再体験することができる

 

 

 

後半の内容はかなり複雑で難しいものとなっています

 

沈黙の知、内省の鎖、意志、意図.....どれも人間に備わっている力のことです 中々理解するのは難しいかもしれません

 

また内的対話を止めるということは、沈黙の力と並んで呪術に必要な基礎的なテクニックです