夢見とは意識を手放すことである
お祈りを続けていると
意識が断続的に途切れることがあります
私はこれが夢見の本質である
「起きたまま眠ること」
なのではないか
そう考えています
はじめは意識を手放すことに恐怖感がありますが、実はその恐怖感も幻想であり自我であるため実体は存在しませんから
一度認識してしまえば
蜃気楼のようにパッと消えてしまいます
この意識の裂け目(クレバス)のようなものと 常識や倫理観などによって造られた栓(フタ)の2つは 修行者の認識できる 意識の形ある特徴のようです