アキラの精神世界

明晰夢 瞑想 宇宙全史 など

人間の頂点に立つ権力者でも、ひとひとり蘇らせることはできない

こんにちは 津田さんです

 

政治ドラマをみていて

今日は政治ドラマを見ていました

 

そこでは、権力者が政治のために、社会活動家を利用しようと画策していました

 

しかし、その社会活動家は警備の僅かなスキをついて、信念を貫くために、閉じ込められた刑務所の中で自ら命を絶ってしまいます

 

権力者は積み上げてきた多くのものを、その人の死によって失いました

 

...

 

胸にこみ上げるもの

このシーンを見ていて私は胸にこみ上げるものを感じました

 

「選ばれし人間のエリートであっても、目の前の人の死すらコントロールすることはできない」という事実にです

 

私たちは傲慢です

 

森を焼き家畜を殺し武器を作っています

 

しかし、それらの傷つけてきたものを、1から作り上げるほどの能力はありません

 

死者を蘇らせることは不可能なのです

 

回帰

この「回帰」という概念は精神世界の基礎に位置しています

 

「私は何者なのだろうか?」「そもそも人間はどうやって生まれたのだろうか?」

「なぜ私は今何かを感じているのか?」

こういった疑問は人間を導くような仕組みを秘められています

 

手のひらを眺めてみる

手のひらを眺めるだけでも、神秘を感じることができるということです

何かに悩んだり躓いたりしたときには、まず「私」や「人間」という身近な存在を意識してみてはいかがでしょうか

 

いかなる世界でも相手が存在している

こんにちは 津田さんです

 

今回は「どんな世界でも相手が存在している」ということについて考えていきたいと思います

 

絶望的な状況でも相手は存在している

例えば冤罪で牢屋に閉じ込められた囚人の例を考えてみましょう

これは絶対に脱出することができないような大変難しい状況であると考えられます

しかしこのような場合でも「看守」や「裁判官(法律)」といった相手は存在するのです

 

精神世界に必要な形質は「値切り」など商売によくあらわれています

非情に、狡猾に、優しく、忍耐強く、利益をあげること」は、精神世界の探求(未知との対峙)ととてもよく似ています

 

地上でたった1人生き残っても地球という相手がいる

たとえ世界が滅んで人類が自分一人になったとしてもそれでもまだ相手は存在しているのです

また人間の場合は肉体があるので「この肉体はどこからやってきたのだろう?」と思考することでも創造者をたどることで相手と向き合うことが可能になってきます

 

祈りという経路

祈りとは人間に備わる経路のことです

これを通して万物に繋がることで相手を知覚することができます

逆に言えばいかなる状況でも相手が存在しているということです

実存という二元性を超えた段階でさえ、そこには何がしかが「いる」のです

 

絶望的な状況でも諦めてはいけない

絶望的な状況でも決してあきらめてはいけません

なぜなら私たちの管理者は私たちに脱出経路を用意しているからです

(このことはカルロス・カスタネダのイーグルという概念を学ぶとより理解することができます)

そのひとひらに舞う木の葉のような、小さなチャンスをつかめるかどうかは私たちに手に委ねられているのです

(それほどの覚悟を決めるということは現実問題としては、中々大変なことなのですが...難しいですね)

愛について

こんにちは 今日はスピリチュアルの世界では人気のキーワード

愛について考察していきたいと思います

 

 

愛とは何か

愛とは何でしょうか

ずばり、愛とはエネルギーです

 

2つのものが1つになること...

もっとわかりやすくいえば「あなたと私は同じ」

といった感覚や知識などのことです

 

 

本当の愛とは高次元に存在しているエネルギー

愛とはギリギリ二元性に位置している高次元のエネルギーです

実存以上の存在ではありませんが、神界より上に存在しています

 

位置関係をみたときに、愛は因果律より上に存在しているということが挙げられます(具体的な例を挙げると、これはかなりわかりやすくなります)

 

例:「他人のカルマを引き受ける」

これは因果律を無視しているということです

 

つまり、他人のカルマを引き受けるという聖人の行為は、愛(またはそれ以上の存在である慈悲)によって引き起こされているということです

もし愛(もしくは慈悲)が因果律より下位に存在していたとしたら、このような現象はありえません

 

宇宙全史で説明される愛

宇宙全史で最も重要な要素はこの愛であると言われています

特に1巻の12章「二人の日本人」という章では具体例を用いて説明されています

愛とは何かを理解するためには物語を通じて理解するのが簡単です

 

ここに書かれていることを要約すると

坂本龍馬と母」

植村直己とその妻」

の生き様(死に方)が描かれています

 

 

最も愛に近いのは母親たち

本物の愛は無条件の愛と表現されることがあります

この無条件の愛にもっとも近い存在が地上には顕現しています

 

それは「子供を育てるときの母親」のことです

(この愛、身体的な特徴、バランス感覚などの能力のため精神世界は女性が優位であることが多いようです)

 

 

愛を実現するには

現代で無条件の愛を実現することは本当に難しいことだと思います

必要なものでさえあげてしまう「喜捨」のような心は愛ですが

これも行き過ぎてしまうと歪んだ欲望でしかありません

(このへんのさじ加減は中々難しいところです)

宗教にはまる人などは貯金全て投げ出してしまう人がいますが、これは愛ではなく、無欲という欲でしかないのです

 

人間は愛を求めている

私たちは愛を求めています

無条件に許してくれる相手を求めているのです

そのことに気がつくことができれば...良心に従って生きるということも難しくはないのではないでしょうか

 

例えば人間の体が原子からできているように、世界は愛で出来ています。そのことを思い出すために私たちは泥の中で必死にあがいているのではないでしょうか

 

忍耐力について

こんにちは 津田さんです

今日は私がもっとも不足していると感じる要素、「忍耐」について考察していきたいと思います

 

 

忍耐力とは

忍耐力とはなんでしょうか

wikipediaによれば 

忍耐 - Wikipedia

忍耐とは、苦しさ、辛さ、悲しさなどを耐え忍ぶこと。例えば、自分に不都合なことなどをひとにされても、暴力的な仕返しをしたり、現実逃避したりしないなど。忍耐する力を「忍耐力」、忍耐力があることを「忍耐強い」と言う。 忍耐は、四元徳のひとつとされている。

とあります

また忍耐力が強化されると忍従というものに変化するようです

 

 

これは精神世界で特に重要な4つの形質のうちの1つです

(狡猾さ、非情さ、優しさ、忍耐)

  

私は忍耐力がない

大きな声ではいえませんが、私は忍耐力がないと思います

それは仕事が続いたことがあまりなく、不登校の経験もあるからです

 

忍耐力を形成するためには

忍耐力を形成するためにはどうすれば良いのでしょうか

1つは目標を持つということが大切だと思います

これは「信じる」という力が必要で、目標が抽象的なものであったとしても、自らの運命を信じて行動していくことが必要です

 

無力さをもたらす黒い穴

私はよく目撃するのですが、一定の努力をはじめるとかならずこの黒い穴が見えるようになります

それは「どうせこんなことをやっても無駄だ」「これが何の意味になる」「きっと成果を得ることはできないだろう」といったネガティブで、力を奪うものです

私は大体この暗い穴に引きずられて、力を発揮することができません

一体この無力感がどこからやってくるのかはわかりません

また反対にポジティブな存在をみると、羨ましくなることがありますが、それはこの無力感(暗い穴)があることが原因となっているのではないでしょうか

いっその事何も考えることがなければ、目標を途中で誤ることもないのですが、それさえできないのが今の有様です

 

ポジティブな神々

いわゆる精神的覚醒を果たした存在というものは、そうじてポジティブな側面をもっています。日常が辛いものであったとしても、決してあきらめることなく、毎日気を楽にして過ごしている方が多いようです 

人間の階層を決定している要素の1つに「執着」というものが存在しています

人間は善悪で地獄に落ちるのではなく、執着の強さで階層が決まるということです

私も地上で日々暮らしていてとても難しいと感じているのですが、毎日を後悔無く生きることは中々大きな課題だと思います

 

幽界へのアクセスする方法

最近実感していることなのですが、予知夢まではいかないのですが、デジャブを経験することがよくあります

特に重要な情報などが見えることは全くないのですが、突然知りもしない経験が見えてくることがあるのです

デジャブを経験したことのあるひとは意外と多いのではないでしょうか

どうやってやっているのかはよくわかりませんが、このデジャブを目撃したときは、その現象が上位の世界(幽界や霊界など)で発生しているのではないでしょうか

つまりこれは意図しているといいかえることもできると思います

なぜ人間にこんなことが可能なのかはよくわかりませんが、デジャブが起きた時はそれを繰り返し思い出してみることは良いことだと思います

 

選択と結果

私たちは日々選択をしています

一見すると選択はそれを選んだ時に確定するかのように見えます

しかし、どうやらそうではないような気がするのです

例えばデジャブを見てその3ヶ月後に具体的な現象があらわれたとします

その場合その未来の現象の発生が確定するときは、デジャブを見た時なのではないでしょうか

 

 

忍耐とは具現化するまで耐え抜くこと

波動の軽い世界であれば、想像したことはすぐに実現することができます しかし、地上はそうではありません 行動を起こしてから結果が伴うまでに時間がどうしても必要になってきます(最近はそれも随分早いようになったみたいです)この『思いつきの発生から、現実世界での具現化までの時間』が忍耐の本質なのではないでしょうか

 

「トンネルを掘っていたとしても、開通するまでやらなくては意味がない 途中であきらめてしまっては、光を浴びることはできない」

このような表現を先生はされていたと思います

 

このタイムラグを越えるエネルギーを忍耐と呼ぶのではないでしょうか

 

信じられるかどうか

忍耐の全ては信じられるかどうかにかかっていると思います

場合によっては具体的な目標さえあたえられません

五里霧中の中で不安と葛藤にまみれながら突き進んでいくことができるか...

そんな冒険を私たちは日々行っているのだ、ということではないでしょうか