意識の中に世界がある、とはどういうことか
ニサルガの言葉に『世界の中に意識があるのではなく、意識の中に世界があるのだ』
というものがあります
この言葉の意味を今一度考えてみましょう
...
私たちは世界の全てに意識をあてることができる
私たちは自分の部屋の中から望遠鏡で見える地球外の天体まで
見えるものは全てに意識を合わせることができます
意識が含まれないものがあるとすれば、それに意識をあわせることはできないでしょう
こういった意味で【この世界はすべて意識という素材でできている】ともいえるのではないでしょうか
補足.【存在→意識→至福】
(これはインド・ヨーガーのサット・チット・アーナンダという慣用句のことです)
私たちが普段知覚しているものは顕在意識だ
私たちが起きているときに知覚している意識の範囲は世界の極一部の点のようなところでしかありません 意識していない場所では カラスは泣き、車のエンジンは鳴り響き、建築労働者のハンマーは唸りをあげています 飲食店では包丁の音が鳴り響いていることでしょう
この知覚していない世界は『無意識の世界が存在している』とも言うことができます
普段の肉体の知覚と同じように超莫大な意識の領域が焦点をあてられることなく
息を潜めている..という感じです
確かに世界の構成要素には意識が含まれているようだ
ハッキリと意識の中に世界があるということを現段階では断定することができませんでした。しかし、原子や分子のように意識という構成要素が世界の全てに含まれているということは間違いないようです
では、意識できない部分..意識の焦点が当たらない部分とは一体どこなのでしょうか?
→過去を意識することは記憶からできます
→未来は?高性能のシュミレーターなら可能かもしれません
存在や気付き、実存はこの意識を超えた領域です
(二元性を超えている、とよく言われます)
一体それはどこにあるんでしょうか?ちょっと考えてみてくださいね